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2013年4月29日月曜日

ことばの不思議。



ことばというのは不思議なもので、
いままでは音楽のようにメロディのように
つながって流れてきこえていた
自分の知らないことばたちが、
ある日ふと、区切れて、独立して耳に入ってくるようになる。

その瞬間、
わたしにとってのそれぞれのことばは意味をもつようになって、
霧が晴れるように意味がわかるようになる。

うまく説明できないけど!
全然うまく説明できないけど、
英語のときには感じなかったこの感覚。






(写真:よく笑いよく食べよくしゃべりよく寝るおばちゃんたち。

2013年4月28日日曜日

みんなでごはん食べるから来なさい!



「サヤカ、明日のお昼ひまでしょ!みんなでご飯食べるから来なさい!」

って近所のおばちゃんたちが誘ってくれたので、
こんなランチに入れてもらいました。


(もちろん手でカレー)


チャクマ語という民族語での会話なので、
たぶん理解できてたのは10%くらいだけなんだけれど、
このおばちゃんたちの笑顔がここちよい。

2時間半にわたるご飯のあと「ほら、昼寝してきなさい!」
って枕わたされて、
おばちゃんたちもみんな寝始めたんだけど、

「ごめんね。わたし、日本語の授業あるから準備しなきゃ!」
って伝えて戻ってきた。
現状調査の続きもしたかったので。

ぜったい、わたしいつもヒマだと思われてる。笑

誘ってくれてありがとう。

2013年4月26日金曜日

ベンガル歴新年と少数民族のお祭り



ベンガル暦の新年は、今年は4月14日でした。

年に1度の、大きなお正月祭り。
私の滞在する村でも4日間にわたってこのお祭りがありました。

ちなみに、バングラデシュのベンガル人の多くはイスラム教徒で、
インド・西ベンガル州のベンガル人の多くはヒンドゥー教徒、
そしてここチッタゴン丘陵の先住民族の多くは仏教徒です。
毎年これらの人々が一斉に新年を祝います。

学校も休み、仕事も休み、誰もがこのお祭りを楽しみます。
文化も言葉も異なる少数民族のそれぞれの呼び方の頭文字を組み合わせて
「ボイシャビ」といいます。

この期間は、お坊さんたちによる壮大な儀式が行われます。
どの家も開放されていて、親戚でも近所の人でも知らない人でも違う民族でも、
そして私のような外国人でも誰でも大歓迎。

それぞれの家では、お母さんたちが手作りの料理を振る舞います。
野菜がふんだんに使われた縁起物のご馳走、豆とポテトのカレー、
すいか、ぶどう、はちみつを使った甘いお菓子、
そして、お米からできたお手製のお酒。
バングラデシュの中ではめずらしく、この地域ではお酒が出てくるのです。

少し外を歩くだけで「食べてきなさい!寄ってきなさい!」と。
1日で20軒の家を回ることになった私が帰宅できたのは21時でした。

広場では小さな運動会が開催され、民族衣装のおばちゃんたちまで、
綱引きや短距離走に燃えていました。



写真は音楽が流れている間にボールを次々と回していき、
音楽が止まった瞬間、ボールをもっていた人が負け、輪から外れるという謎の競技です。私はルールもよくわからないまま、気づくと最後の3人まで勝ち残っていました。

近所に知らない人はいないのではと思うほど、
地域のあたたかいつながりを感じます。


***ちぇれめいえproject***
少数民族の子どもたちの教育支援プロジェクト!

2013年4月25日木曜日

「・・・でも嬉しかったんだ!」



ちぇれめいえproject
の調査に行ってきました。

車から降りて、照りつける日光の中、丘を登り続けること25分。

息切れが……
さすがチッタゴン「丘陵地帯」!

(これは丘ではなく、山だと思う。)


親を失った子どもは、
運がいいと親戚の家に引き取ってもらえて、
そこに住みながら食べさせてもらいながら
昼間は家の仕事を手伝ったりしています。

どこにも引き取ってもらえないとお寺に住んだり。

でも、親戚にひきとってもらえたとしても、
その子を学校に行かせてあげられるほど
親戚も豊かじゃない場合がほとんど。

両親ともいない少年が、
自分の村に連れて行ってくれて、
親戚を紹介してくれました。



ネットも電気もない山の中。

彼は運よく、
私たちも支援してる寄宿舎学校「Moanoghar」に暮らしながら学ぶことができた。

みんなより入学が遅れること3年。
それまでは毎日、焼き畑を手伝っていたから。

「でも嬉しかったんだ!学校に行けることになって。」

たくさんの話を聞かせてくれてありがとう。


*****ちぇれめいえproject*****
いまだから、わたしたちだからできることを考え実行するプロジェクト。
そして、多くの人と一緒にこの地球について考えるプロジェクト。

現地調査その2



現在、政治的にあまり安定していないバングラデシュでは、
連日のようにストライキが勃発。

「ホッタル」と呼ばれるこのストライキ中は、
すべての交通機関がストップしてしまいます。

車もタクシーも動かないため、
先生が学校に来られず、
私の滞在しているNGOが運営する寄宿舎学校も授業がお休みです。

(民族衣装はとてもカラフルでかわいい!)


**************************************
現在、ちぇれめいえprojectは
100名を超える方がサポーターになってくださっています。

Ready Forでのスポンサー募集期間は残り27日。
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しかし、寮に寄宿している子どもたちは、ストライキの日も家に帰れないので、
学校の敷地内で遊んだり、おしゃべりしたり、本を読んだり、クリケットをしたり・・・

今日も一緒にお昼ごはんを食べながらいろいろ話してきました。




ちぇれめいえproject が支援するのは、
寄宿舎学校Moanoghar-モノゴール-」に暮らし学ぶ、少数民族の子どもたちです。

学校の敷地内の寮で寝泊まり生活をし、
ここから学校に通う子どもたちは約700人。


いろいろな理由から、家庭からの金銭的サポートが難しいため、
個人の支援者からの応援金によって、
授業料や生活費をまかなえている子どもたちが100人ほど。


(授業中。ひとつの教室に100人以上。教室をふたつに仕切って授業をしている。)



しかし今も、
どうしても全くお金が払えていない状況の子どもたちがいます。



現在、ちぇれめいえサポーターの支援で、
この子たちが学び続けられるようサポートしたい!
という26人の生徒のリストの中には、

父親が亡くなり母親と兄弟が住む場所がなくなってお寺に仮住まいをし続けているという子、

家庭崩壊で帰る場所がなにもなくなってしまった子、

両親ともおらず、兄弟や親戚も貧しく今まで学校に通えていなかった子、

などがいます。


それでも勉強したいというこの子たちと、
これから個別に話をしていきます。




ちぇれめいえプロジェクトでは、
このような子どもたちがここに暮らしながら勉強を続けられるサポートをしていきます。




(寮での共同生活。ひとりひとつずつ、勉強机と布団があります。)



私の民族語はだんだん上達してきました。
どのくらいかというと、
民族語しか話さないおばちゃんと電話できるようになったくらいですね(^^)/


(村での調査中の一枚。
両親のいないこの男の子もMoanogharで学んでいた。
今はおいっこがMoanogharの4年生。)


これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
下記HPとブログでもたくさん発信していきます^^

【資金集めサイトReady For】
【公式HP】

【ツイッター】@cheremeie
【Facebook】ちぇれめいえproject

2013年4月23日火曜日

外国人が遊びにきたよ!




少しUPが遅くなってしまったけれど・・・
外国人がわたしのいる村に遊びにきたよ(^^)/
(わたしも外国人なんだけれども)



バングラで環境問題に取り組む日本人と、
宮城で子どもの居場所づくりの活動をしてる日本人と、
グラミン銀行でインターン中の韓国人。

わたしが一緒にお寺で暮らしてるお坊さんたちが、
ボートの旅に連れて行ってくれました。

ボートで湖を旅して、
お寺を訪ねて、
民族衣装をみにいって、
ここのみんなとごはんを食べた。
いろんな言葉があふれる食卓だった。

それぞれ目的は違うんだけど、
いま、同じ場所にいる。
みんなでいろんな言葉ごちゃまぜでいろんな話をしました

ふだんは聞けない、
ここの地域のもつ歴史や問題についても改めて聞けました



どの活動が大事とか、
どんな仕事が重要とか、
どこでやる活動のほうが大切とか、
比べることはできなくて、
きっとどんな活動も誰かにどこかで必要とされてて。

だから、それぞれが自分の使命をもって生きていけたらいいよねって、
昨日の3人に出会えてわたしは思いました。

また会いたいな。地球のどこかで。
Thanks.

バングラにお越しの方、連絡くださいね^^


***ちぇれめいえproject***
少数民族の子どもたちの教育支援プロジェクト。
Ready Forでのサポーター募集、残り28日!

2013年4月19日金曜日

世界最大!脅威のバングラNGO

週刊東洋経済 (2013年4月13日号)からの引用です。

昨年の夏に私も首都・ダッカにあるBRACのオフィスを訪れました
いままでのNGOのイメージとはずいぶん違った印象を受けます。

以下、ご参考までに。

■世界最大!脅威のバングラNGO■




世界でNPO・NGO先進国なのが米国と英国。
だが、世界最大のNGOはアジアにある。
バングラデシュのBRAC(バングラデシュ農村振興委員会)だ。

BRACはバングラデシュ独立戦争の後、
インド側から逃れてきた約1000万人の難民を助ける緊急支援活動の組織として、
1972年に設立された。


しだいに貧しい農村の啓蒙・自立促進を行う開発プログラムに傾注。

そして90年代以降、急速な巨大化を遂げた。

現在、常勤職員は約4万5000人。

2011年度の予算規模約540億円は
バングラデシュの国家予算の3%弱にも相当する。

傘下には手工芸品店、養鶏農場、印刷会社など、多数の営利企業を抱え、
首都ダッカで最も高い、2棟の高層ビルを拠点とする。

ケタ外れのNGOだ。


「BRACの飛躍のきっかけとなったのは、
89年に開始したマイクロファイナンス(小口金融)の事業だ」
と語るのは、
長年同国でNGOの活動をしてきた静岡文化芸術大学国際文化学科の下澤嶽教授。



マイクロファイナンスとは、貧しい農民を数人から数十人の班に分け、
連帯責任制を敷いて資金を貸し付ける仕組みだ。

すでに80年代初頭からムハマド・ユヌス氏率いるグラミン銀行が
同事業で成果を上げていたが、あくまで金融機関。
NPO・NGOは金儲けを嫌う風潮が強く、

金融業進出には抵抗が強かった。


BRACもそれまでは、貧しい農民に対し、
資本家からいかに搾取されているかを自覚させる啓蒙活動などを地道に展開していたが、
戦略的にマイクロファイナンスを選択した。
当時のNGO業界には、大きな衝撃だった」(下澤教授)。


この事業は、
高利貸に搾取されていた農民たちが経済的に自立することを可能としたほか、
BRAC自身にも自立をもたらした。

収益を上げることができるようになり、
運営資金の欧米の財団への依存度は、
97%(85年)から24%(11年)にまで、劇的に下がった。




90年代のもう一つの大きな成果が寺子屋事業の展開だ。


貧しく小学校に入れない子どもたちに非公式の初等教育を施すもので、
約4万校あるバングラデシュの学校の半分に当たる2万校もの施設を、
短期間に作り上げた。

ノート代わりの石板や算数に使う竹ひごなど、多くの補助教材を用意。


踊りや歌も導入して、子どもたちが楽しめる魅力的な授業を行った。
その結果、公立小学校に通える児童がBRACの寺子屋を選ぶまでになった。




「創設者のファザル・アベド氏は英国の石油メジャー、シェルの出身。
マネジメントに長けたビジネスパーソンだ」。
バングラデシュに詳しい、国際協力NGOセンターの大橋正明理事長は言う。

00年代から立ち上げた営利企業が安定的に収益を上げているのも
のためだろう。



00年代以降は、アフガニスタンなど海外にも展開。
一般に財源、人材の余裕がないアジアのNGOにあって、
自国以外に展開することは異例だ。


欧米のNGOがりーダーシップを取ってきたパラダイムが変わった。
BRACのほうが先進国よりコストが安く、宗教、文化が似ており、
途上国での活動のポテンシャルは大きい」(下澤教授)。

その存在感は拡大の一途をたどっている。