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2014年1月31日金曜日

4日間の、山岳地帯への旅から無事帰還。


山岳地帯への旅から無事帰還。
Came back from 4-day-trip to rural area in Chittagong Hill Tracts

朝日がのぼってから、夕日が沈むまで、
山登りとトレッキングと、クルージングと沢登りと
マラソン大会とサバイバルキャンプをミックスさせたような日々でした。



今回は、天皇の行幸?のようなものに同伴しました。
年に一度のチャクマ族の王様一族のソーシャル行幸にご一緒させてもらえたのでした。
わたしがここ10ヵ月滞在しているのが、
バングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯にあるチャクマ民族の村です。
わたしの大好きな大好きな人たちです。

チャクマ族の王様は年に1回は自分の足で道とは呼べない道を歩き続け、
行く先の村々で子どもやおばあちゃんにも声を掛けながら進み、
みんな変わらず暮らしているか、
子どもたちは元気か、
今年は農業に問題はなかったか、
この村の一番の心配はなにか、
そんな話を村人とするのです。

生まれてはじめてこんなに歩き続けた!

歩きすぎた全身筋肉痛と、
崖ですべって足から出血したのと、
虫にさされまくり左足が醜いのと、
山の中のトイレ(壁がなくオープン。穴のみ)でお尻も虫にさされたのと、
冬に池での水浴びをしたので風邪をひいたのをのぞけば元気です!

ぜったいに本で勉強していても得られないものを得ました。
たくさんの人に出会い、いろんなことを知りました。
日焼けしてさらに黒くなりました。

へばってたわたしにたくさんよくしてくれた、
村のおばちゃんたちに感謝です。
どんのばっと。

2014年1月22日水曜日

茶道~SADOU~


【ちぇれレポート】


サポーターの土屋さんは、モノゴールの日本語クラスにも着物で登場してくださいました。
Our supporter Tsuchiya-san visited Bangladesh, Moanoghar all the way from Japan. (With Japanese traditional dress, KIMONO.)




もちろん人生初めての、茶道。
Japanese Tea Ceremony!


お茶をたてるときの全ての順番に意味があるという説明を聞くみんなの真剣なまなざし。
「・・・砂糖も牛乳も入れないんだ。」とボソリ。
バングラの紅茶は砂糖ミルクたっぷりなのです。
Everything is surprising...!
no sugar, no milk, how to mix, every order is important to make tea.


ひとりずつ、「あつつつつ!」となりながらお茶をいただき、
授業後も土屋さんを囲んで笑いと質問が絶えませんでした。
All of them tried to drink. (It was hot hot hot!)
There were a lot of questions and smiles after the class also.


みんなの好奇心にあっというまに火を付けた土屋さん。
いつもちぇれを応援してくださって、そして今回みんなに会いに来てくださって、
ありがとうございました!
Thank you for visiting us and making special time!


(バングラ支部;渡部)

日本人の訪問22人目!

【ちぇれレポート】


サポーターの土屋さん、
わたしたちの活動地、バングラデシュ・ランガマティを訪問。



お茶をされている土屋さんは、なんと着物で登場、みんなもびっくり・・・!

「今回で4回目の渡航になりますが、だんだん自分が何がしたくて、
どのようにかかわっていきたいが見えてきたような気がします。
当初は教育支援として、教育をする場を提供したいと思い
学校を建てたいと気持ちがありました。

実際に学校に行ったり、支援に関わっている人たちに話を聞いてみると、
まだそんな状況ではなく、学校は建てたはいいけど、
先生や運営する方々の給与など運営する費用や建物の改修費などまで資金が回らず、
閉鎖になってしまうことも少なくないようです。
そこで『今できること』を考えた時、
バングラの方々や支援に関わっている方々と交流を深めていくことも重要と考えたので
少しずつですが活動しています。

普段は会社員として働いている為、
「できるときにできるだけ」になってしまいますが・・・
「日本から自分に会いにきてくれた」・
「あまり触れることのない日本の茶道を見れた」
この経験はバングラの方々の記憶に残ると思います。
仮に結果として何もできなかったとしても
日本に少しでも興味を持って頂ければそれだけで私のこころは満足です。

2014年1月19日日曜日

なんでもない日常




空き地で、丘で、田んぼで、あぜ道で、池で、
朝から晩まで走りまわってる子どもたち。
そこにはいつも友達がいて、ゆったり見守る大人がいる。
ランガパニ村より。



Play ground, hill, rice field, small road, pond...
everywhere is their place to play.
From Rangapani village.

島で生きる ‐歴史的背景‐


1960年代、アメリカのODA援助で建設されたランガマティの発電ダム。



政府は武力で現地の反対の声を封じ、
多くの少数民族が農業をしながら暮らしていた肥沃な土地は水の下に沈みました。
チャクマ民族の王様のお城も水の下に沈みました。
川がせき止められ、東京都の面積の半分ほどもある大きな湖が出現したのです。 
それが「カプタイ湖」。
熱帯林に囲まれ、湖が白いな雲をきらきらと映します。

10万人が開発難民となり、自分の故郷を離れ別の地域やインド、ミャンマーへ去りました。
それから50年。いま、カプタイ湖周辺には誰も暮らしていないのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
ダムができる前、小高い丘だったところが今は「島」のようになっているのです。

100家族が暮らす大きな島から、4,5家族しかいない小さい島まで
大小の島が浮かんでいるように見えます。
肥沃な平地は水の下に沈んでしまいましたが、
いまもその島に暮らす少数民族がたくさんいます。

(バングラ支部:渡部)

2014年1月18日土曜日

島で生きる ‐交通手段の大切さ‐


【ちぇれレポート】

今日、モノゴールのスタッフに連れて行ってもらい「ディグリバート」という村へ行きました。
湖に浮かぶ、「島」にある村です。

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大きな船着き場から、モーター付きボートで15分くらいのところだった。
電気は陸から通ってはこない。そのかわり、ソーラーパネルがあった。
約80家族が暮らすこの村は周囲をカプタイ湖に囲まれた島である。
お寺の講堂のようなところで老若男女50人くらいの人が集まってミーティングが始まった。

以前ここをイギリス人の男性がチャクマ族の友人つながりで訪れた。
何かできることはないかということを話し合い、ボートがほしいと頼まれたそう。
彼の予算で70人から80人乗りのボートは完成した。予算は材料費、人件費含めて約4百万タカだった。
中断されていた時期を考慮しなければ約2カ月で完成した。
今日はそのボートを届けに行く日だった。

背景はこう。
この島には小学校はあるが、中学校からはボートで通うしかない。
現在、高校生、大学生、専門学校生約60人が、島の外の学校に在学しているが、
通学が何よりも問題である。
寄宿舎があるモノゴールにも今年2人が入学した。

モーターボートであれば片道15分の道のりを、
手漕ぎの小舟で約1時間かけて通うか、学校近くに寄宿する、もしくは寄宿者学校に入るしかない。
手漕ぎのボートは雨季のどしゃぶりが続く日はかなりの危険が伴う。

村人のミーティングでは、みんなで話し合いをもったあと、
このミーティングに参加したすべての人はみんなでサインをして、
7人で構成される委員会を作った(男性5人、女性2人)。
今後のマネジメントはこのボート委員会メンバーが責任をもつ。
必要になってくる実費としてガソリン代とボートを運転する人の人件費。
それらは、学校に通うために子どもが毎日ボートを使う家庭が
一ヶ月に500タカ(約650円)ずつ出し合うこととなった。


このボートのおかげで見込めるのは、生徒の通学のみではない。
村人の生計は主に漁と農業。採った魚や野菜や果物は、村で食べる分を除いて、町まで売りに行く。
それが唯一の現金収入。稲作に適していた肥沃な土地は、
カプタイ湖の下に沈んでしまったので、米は主流ではない。

野菜を売りに行くにも小さな手漕ぎボート、
もしくは料金を支払いどこからか借りてくるしかない。
すべて自給自足ではないので、1週間に2回はお母さんたちが日用品を買いだしに行かなくてはならない。
その際も手漕ぎボートだった。

この村では、ボートによって多くの課題が解決され、
村人は自分たちの土地でこれからも暮らしていくことができる。
それも、家族、子どもたちも一緒に、コミュニティの中で。収入も向上するかもしれない。


なによりも、子ども時代の毎日を、
お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、兄弟とともに地域で暮らす、
それは何にも代えられない宝。
町で小さいころから家族と離れて暮らしていては得ることのできない、
今までずっと続いてきた民族の伝統や生活の知恵を伝えていくのも、
次世代を生きる子どもたちの大きな役割なのです。

(バングラ支部:渡部)

2014年1月15日水曜日

なかなか始まらない新学期。

【ちぇれレポ】

「あとひとり乗れるよ~!」



冬休み明け、1月10日から始まるはずだった新学期はまだ始まりません。
総選挙に関連するホルタル(ストライキ)の影響で、
チッタゴン丘陵地帯の多くの子どもたちは
まだ帰省した村から寄宿舎に戻ってくることができていないのです。


なんせ、
ボートとバスと徒歩で13時間!とか、
インドの国境沿いの家まで3日かかる!とか、
家から通える学校のないそんな子たちが暮らすのがこのエリアの寄宿舎学校。

この写真は、先月から一緒に暮らし始めた子どもたち。
今月から新しく入学する子たちです。
みんな出身はばらばら。
「学校」と行っても寄宿舎学校って、勉強するだけの場所ではなく生活の場だから、
そこではこうやって毎日一緒になんでもない時間を過ごす
仲間ができて家族ができるのです。

こんな子どもたちの中でも、特に、親を失った子どもたちを、
サポーターのみなさんと一緒に応援しているのが、
わたしたち「ちぇれめいえproject」です。
新しく、里親制度も始まりました。


(バングラ支部:渡部)

2014年1月14日火曜日

お気に入り*ダッカのハンドクラフトのお店


【お気に入りのお店♥ーFolk Internationalー】
Traditional Handicraft Shop in Bangladesh


「フォーク インターナショナル」ハンドクラフトのお店。
1999年にできたNGOが経営するショップです。




この日に仲良くなった店員さんのひとりはガロ族の20才の女の子でした。



いろいろな地域からのグッズや、バングラならではのアート、

各少数民族の織物や、様々なテーマの写真集・・・わくわく。




どんな人たちがこれを作ってるのかな。

わたしはこんな雰囲気が大好きだから、何時間いても飽きません*ぜひ。














Folk International is social welfare organization, and Non-profit retail sales center.
It opened 1999, it represents the true culture of Bangladesh,
 from all regions, from all cultures, 
enabling the craft-person to earn a stable income from their traditional skills, 
and passing their skill to the next generation.
I want to see the people who are making these goods;)


2014年1月8日水曜日

だからほんとに、生き抜いてほしい。



ダッカの路上で生きる3きょうだいに出会った。



これはうそじゃなくって、
きれいごとではなくって、
ストリートで生きる彼らから元気をもらうときは多い。
なんなんだろう、この笑顔。
彼らの個々のストーリーをすべて知ってるわけじゃないから、
無責任なことは言えないけれど、
でもこの笑顔が素敵だと思うのは、
きっとわたしだけじゃないはず。
だからほんとに、生き抜いてほしい。

I met this brothers and sisters who live on the street.
It's not just a empty compliment but I thought their smiles were beautiful.
Sometimes these children make me smile.
I don't know their each whole life stories.
I don't understand their all difficulties.
But maybe I'm not the only one who thinks their smiles are beautiful.
I hope you live to happy.

2014年1月4日土曜日

「モニプリ族」を知っていますか?


【ちぇれレポート】

バングラにはたくさんの少数民族が暮らしています。
モニプリ族は、シレット県のスリモンゴルという地域に多く暮らしています。
インドやミャンマーにも暮らしているとか。
Do you know "Manipuri"?
There are many adibashi(indigenous) communities in Bangladesh.
The Manipuris are mainly resides in Manipur, which is one of North-Eastern states of India 
and also in Myanmar and Bangladesh. 
They have their own tradition, language and script. 






今日は、「シレイコン」(http://shilleikon-japan.weebly.com/
という手工芸品の団体を1978年に立ち上げて活動されている
モニプリ族のロビンさんのところに行ってきました。
現在モニプリ族はバングラに約10,000人。
人口1億6000人のバングラデシュ全体を考えたら本当に少数です。
ずっと受け継がれてきた文化や独自のアイデンティティーを
これからも次の世代が受け継いでいけるように・・・
そんな想いでロビンさんたちは活動を継続されていらっしゃいます。
Today I visited Mr. Robin who made "SHILLEIKON".(http://shilleikon-japan.weebly.com/)
SHILLEIKON is a community based organization which working since 1978.
The activities are concerned with the promotion 
and development of an ancient Manipuri handloom weaving and crafts.


マイノリティーとしての難しさ、
急速に移り変わっていくバングラデシュ、
経済発展との共存、
次世代と一緒に考えたいこと、
日本の西陣織をはじめとする職人さんたち訪ねたときのこと、
地域に存在するコミュニティーのこと、
これから自分の故郷につくろうと思っている文化センターのこと、
たくさんのお話を聞かせてもらいました。
We talked a lot.....
The difficulties as a minority,
a rapid changing of Bangladesh,
positive and negative points of economic growth,
what he wants to do with young generation,
what he felt when he visited Japanese traditional Nishijin-ori craft,
the community of the countryside,
the new concept of cultural center which he plans to make in his hometown and so on.


「工場で大量生産されたものは安いし手軽ですからね。
でもそうしているうちにみんな同じになっちゃうんです。
それは少数民族だけの問題ではありませんけれど。」
"Of course mass produced goods are cheap and easy,
but it'll make nationally and globally uniform culture without realizing it.
This is not only the issue of minority..."


アイデンティティーとか、
伝統の継承とか、
文化の見直しとか、
言葉の保護とか、
日常生活でそんなことを考えないで生きている(考えなくてもいい)多くの日本人。
We, most of Japanese, don't need to think about 
the identity, inheritance of tradition, reconsideration of our culture, 
protection of own language and so on in daily life.

わたしのおじいちゃんのようなロビンさんの言葉ひとつひとつが、
大事な意味をもっていました。
He is like my grandpa.
All his words made me think many things deeply again.


今度、モニプリ族の暮らすスリモンゴルにも行ってみたいです。
Next time, I want to visit their hometown!

(バングラ支部;渡部)